開きっ放しだった『可能性のスコープ』を絞れ
私だけではないと思うんですけど、若い頃って、割と『自分には無限の可能性がある』とか考えていませんでしたか?
先生でも親でも何でも、大人が若者に何かを伝える時って、
君たちには無限の可能性があるんだ!
みたいな事を言うじゃないですか。
あれって、半分本当でもう半分は嘘だと思うんです。
確かに、人は皆、何にでもなれる可能性は持っている。
無限の可能性を抱いて生きていく事は有意義な人生を送る上でとても大切な事だと思います。
でも、自分が何に成れて、何に成れないのかを知る事も、それと同じくらい大切な事だと思うのです。
一万時間の法則ってあるじゃないですか。
どんな事でも、一流になるには一万時間ぐらいかかりますよ、っていう法則。
1日3時間で10年、1日8時間だと4年ぐらいですかね。
つまり、何かのプロフェッショナルになるには、それぐらいの時間が掛かるんです。
人間が生きられるのは長くても100年程度。
100年生きたとしても、
最初の10年は子供だし、
最後の10年は老人で身体が満足に動かないし、
おまけに1日の4分の1は眠らなきゃならない。
そうなると、100年生きたとしても自分の意思で100%コントロールできる時間は50年くらいしかないんです。
つまり月並みながら人生は結構短いということなんです。
その短い人生の中で、何かを成し遂げたり、一流のプロフェッショナルになる為には、どこかで自分の無限の可能性のスコープ(照準)を絞る必要が出てくるんじゃないかと最近考えるようになりました。
ずーっとスコープを開きっ放しで、無限の可能性を留保してる人って、人物としては魅力的かもしれないけれど、意外と何者にもなれないまま終わっていく気がするんです。
人生の何処かの段階で、スコープを絞り始める必要が出てくる時期があって、それがアラフォーなのかなあって思うんですね。
『俺にはやっぱりこれは向いてない。でもアレは向いているぞ!』
っていう取捨選択。
これって、
後ろ向きな諦観ではなく、前向きな選択
だと思うんです。
そんな事をつらつらと考えるお年頃(笑)。