ヒツジくんの日記

仕事、育児、趣味、考えたことを徒然なるままに。

仄暗い井戸の底からコインを拾え ――BGMと文章の関係性について――

一人旅で感じたことを書き起こそうとしています。
昨日、伏見稲荷大社に行った時の話を書こうとしているんですが、ちょうど今、レコード大賞を見ているんですね。
演歌とAKBとEXILEとAAAとTUBEがガンガン流れている状況な訳です。そのせいか、さっきから全然文章がまとまらないんです。

不思議なもので、私の場合、ブログなどで書く内容は思い切りBGMの影響を受けてしまうんですよね。

体験的には分かっていることなんだけど、改めて、何でそんなに文章ってBGMの影響受けちゃうのかなーって考えてみました。

文章を書くこととは、どういうことなんだろう


「は?なに言ってんの?」って言われるかもしれないですけど、
文章を書くことって、【井戸の底にあるコインを拾ってくる作業】に似ていると思うんです。


当たり前ながら、生きていると、色々なことを感じたり考えたりしますよね。
それらの想いはコインの形に凝縮されて、その度に、自分の心の中の井戸へチャポンと放り込まれていく。
そして井戸の底にコインが溜まっていくんですね。

誰でも心の中に大きな井戸を持っていて、仄暗い井戸の水底には無数のコインが眠っていると思うんです。

文章を書く作業というのは、その井戸の中に潜って、井戸の底のコインを拾って水面まで戻ってくる作業なんじゃないかなーと思うんですよ。

上手いダイバーは、井戸の底のコインを2枚も3枚も拾ってくるし、
下手なダイバーは、コインを拾う前に息がもたなくて水面に戻ってしまう。

じゃあ、BGMと文章はどう関係してくるのか?


BGMというものは、井戸の中に潜る際に【重り】にも【浮き】にも成り得るモノだと考えています。

書きたい内容と合っているBGMなら、深く潜る為の助けとなる【重り】になってくれるし、
逆に、書きたい内容と合っていないBGMなら、【浮き】になってしまい、何時まで経っても深く潜れない。

例えば、内省的な文章を書きたい時に合うBGMはやっぱり少し暗めの音楽だったりするんですね。
ヒーリングミュージックやJazzやクラシックとか。

もちろん個人差はあると思うけれど、
「内省的な文章にはアゲアゲなトランスがしっくり来るぜ」
って人はかなり少数派だと思う笑

合っていないBGMに乗せて文章を書いていると、やっぱり筆先が鈍る。
少なくとも、書こうとしていたトーンとは違う文章が出来上がってしまう。

それって、BGMが浮力として働いてしまっている状態なんじゃないかなーと。
【浮き】が邪魔になってしまって、結果として、内省的な文章のはずなのに、
大して深い所まで潜れないまま、浅い結論でまとめてしまったりするんですよね。


そんな感じです。


ここまで書いていて重大な事に気づきました。

じゃあ、さっさテレビ消せや

と笑。