ライフハック狂騒曲
最近気持ち悪いなと思う言葉の一つに、『ライフハック』というものがあります。
一応定義としては、こんな感じ。
効率良く仕事をこなし、高い生産性を上げ、人生のクオリティを高めるための工夫。
という事で、
元々は特にIT系の仕事術を指す言葉だったみたいなんですけど、元の意味から拡大解釈されちゃってて、最近は何でもかんでもライフハックになってるんですよ。
おばあちゃんのポタポタ焼きの煎餅の袋の裏面に書いてあるような、ちょっとした知恵袋みたいなしょうもないやつが笑。
例えばこんな感じ。
退屈な雑用を変える「マインドフルネス皿洗い」のすすめ | ライフハッカー[日本版]
マインドフルネスは、より自分の存在を意識し、注意と集中力を高める実践と心の状態です。これから家で退屈な雑用をやる時は、作業をしながら瞑想をしてみましょう。
無茶言うな。
マインドフルな皿洗いをする人は、よりマインドフルフルネスな状態になることがわかりました。
もはや何言ってんのか意味が分からん。
いやでも、確かに凄いよ?ここまで考えるのは。
でもね、もうね、皿くらい黙って普通に洗えよ、とww
こういう感じの、いちいちポジティブな匂いをさせて『○○をハックする』とかいう気取った言い回しする辺りが、30代IT系の自分からして見ても、うわー何か気持ち悪いなーと思ってしまうのです。
30代以上の読者にしか通じないネタで恐縮ですが、中身は『つるピカハゲ丸くん』並みのつるセコな技なのに、シリコンバレーっぽい魔法の粉を振り掛けて、人生の深い智慧みたいなトーンに変えるのが凄いよ。
例えば、鼻水舐めるとうんまいど〜!みたいなつるセコなネタも、ライフハッカーの手にかかれば、
不思議と生産性の上がるノーズウォーターハック
とかになるのでしょう。
そのうち、ケツの拭き方までマインドフルネスになってきて、『便器をハックする』とか言い出しそうな勢いを感じます。
努力は不要
脳科学者の中野信子さんのお話。
成功に努力は不要です
中野信子(脳科学者) 成功に努力は不要です - YouTube
これ、ホント最近痛感してます。
人にはそれぞれの向き不向きがあって、向いてる事ならば努力を努力と感じずにひたむきに続けられるんですよね。
結果としてそのジャンルで一流になれる。
逆に言えば、向いていない事にどれだけ一生懸命取り組んでも、イマイチ能力が伸びなかったりする。
だから、努力しても上手くいかなかったら、あまりクヨクヨと自分を責めるんじゃなくて、さっさと見切りをつけて新しいジャンルにチャレンジして行った方がいい、という事ですね。
そういった意味で言えば、動画の中でも触れられていますが、
『人間は無限の可能性がある』
という言葉も半分ホントで半分ウソなんじゃないかと思います。
いくら努力しても叶わない夢もあるし、いくら努力しても、残念ながら誰もがウサイン・ボルトになれる訳ではない。
『好きこそものの上手なれ』
という言葉もそう。ちょっとウソが混ざっている。
恐らくですけど、好きか嫌いかと、向き不向きはまた別のモノなんですよね。悩ましいことに。
そのジャンルが死ぬほど好きで物凄く努力してるはずなのに、投入した時間の割にイマイチ実力がなくて全然芽が出ない作家やミュージシャンや役者の人って、世の中に沢山いますよね。
好きなのに向いていない人達。
その横で、ギター持って半年ぐらいの中学生がプロみたいな演奏をしたりすることもあったりする。
10年間毎日弾いているオッサンより上手かったりするわけですから、泣きたくなりますよね笑
更にややこしいことに、世の中で売れるかどうかは、向き不向きとはまた別の要素もあるので、上記の芽が出ない人達がある日いきなり大ブレイクしたりすることもあるんですよね。
で、そういう人達が
『信じれば夢は叶う』とか言ったり、
自伝を書いたりするんですよね。
そういうのが向き不向きの話。
何かハタチの頃って、根拠のない万能感を持ってたりするじゃないですか。
『自分には無限の可能性が眠っているんだ!』
みたいな。
皆さんも経験ありませんでしたか?
私にはそういう時期がありました。
当時の自分の言動を振り返るとイタ過ぎて死にたくなります笑
もちろん、ポジティブに生を謳歌する意味では、そういった万能感を持ちながら生きる事はある時期まではとても大切だと思うんだけど、
ある程度中年に差し掛かってくると、いつまでもそんな事言ってられなくなる。
『あれ? 俺、万能のはずなのに、その割に何で普通にうだつの上がらないサラリーマンやってるんだ?』
みたいな笑。
これを書いてる私がまさにそういう年代なんですよね。
だから、これからは
『自分には無限の可能性がある』という万能感は捨てて、
『何か自分に向いているモノがあるはずだ。それをどんどん探していこう!』
という風に、戦略を変えて生きていこうと思います。
どちらも自己肯定なんだけど、後者の方が今の自分にはシックリ来るなと。
主人公は僕じゃなかった
カタルエさんのブログがガツンとくる内容でしたのでシェアさせていただきます。
子育てがうまくいってない人は、未だに「自分の人生の主人公は自分」だと思っちゃってる人
http://www.katarue.com/2012/07/blog-post.html?m=0
普段はイクメンを気取ってキレイゴトばかり書いていますが、子供がいると全ての優先順位が子供中心となり、自分の時間が圧倒的になくなるので、時折それに対してフラストレーションがたまる事があります。
特に自分の人生を見つめ直して何かを集中して勉強したいという時期に、子供の相手をする為にショッピングモールのおもちゃコーナーをブラついて半日潰れてしまったりすると、
『こんなことやってて俺の人生、これでいいのか』
とか、
『この時間に別の事をやれていれば自分はもっと成長できたのにな』
と、悩んだりするときもあります。
多分僕と同じ、自分の持ち時間とか、時間当たりの価値やコストを大切にするタイプのワガママな人間なら、共感してもらえると思います。
例えとしてはイマイチかもしれないけど、
映画『ハート・ロッカー』の最後の方にそういうシーンがあるんですよね。
爆弾処理のスペシャリストの主人公がアフガンの戦場から帰国して、自分の街に戻ってくる。
そして、妻からコーンフレークを買ってきてくれと頼まれて、どこにでもあるようなスーパーマーケットの巨大な棚の前で立ち尽くすシーンがあるんですが、あんな感覚に近いかもしれません。
圧倒的な日常。圧倒的な退屈。
主人公は確か物語のラストで、結局また戦場に志願して戻るんですね。彼にとってはスーパーマーケットには自分の居場所がなかった、と。
でもまあ、この記事にある通り、子供ができるというのは、そういう事なんですよね。
期間限定で、自分の人生の主人公から降板して、脇役に徹する。
その間は子供が主人公になる。そういう割り切りを持っていないとストレスがたまるだけなのかもしれません。
でもなあ、その辺を割り切るって、それはそれで難しいよな。。。