これからは下着ドロの時代だ!
すみませぬ。
タイトル通りなんですけど、キンコメ高橋さんの問題とは一切関係ありません。
つまり、下着ドロボーではなくてですね、下着のドローン配達サービスとかあったらいいよなーと。
もはや勝負下着とか関係ないお年頃なので、正直言って、下着や靴下なんかはデザインうんぬんよりも機能性がしっかりしていれば何でもいいって感じなんですよ。消耗品だしね。
靴下とか洗濯するとしょっちゅう生き別れになったりするしね笑。
いや、もちろんそういう見えないところに拘るのが真の洒落者だという事は分かるんですが、そんなの本人の矜持の問題だろ、とも思うんです。
だからまあ、こだわりのない消耗品については、月額払って毎週新品が届いて着古したものを返却する、みたいなサービスがあればいいよなあとか考えています。
週の初めにドローン配達で一週間分の下着類が届いて、ドローンがぶら下げてるカゴの中に着古したものを返却したらまた飛んで行く、みたいな。
で、基本的に使い切りで、着古したものはそのまま土に還るような造りにしておくとか。
毎回新品に替えるのが勿体無いならば、クリーニングでもいいけど。
ドローンが下着抱えて街中飛び回ってる絵面が面白いよな、なんて思ったりして。
そういう意味ではキンコメ高橋さんは下着ドロの先駆者というかパイオニアというか、疾過ぎた変態だったのかもしれません。
ただ、このドローン配達も、システム障害が起きたら空からパンツの雨が降ってくるのはヤバイね笑
『無価値』と言い切る感性こそが無価値だよ
ただ「考えられる人」は無価値。「行動に移せる人だけ」が生き残る。
「アイディアだけで、実際にモノを創れないヤツに価値はない!」
という事らしいんです、この記事によれば。
Google、Hyper Islandらが仕掛ける最先端・最速の起業家育成プログラム「30Weeks」とは? - Be inspired!
確かに刺激的で、向上心をくすぐられる記事。
この記事の中で紹介されている、デザイナーを起業家にする30Weeksというプログラムも非常に魅力的。
ただ、ほんのちょっとだけ、コレ読んだ時に心の片隅にザラッと引っ掛かるものがあったんですよね。
何かなーと思ったら、
『無価値』
というフレーズにカチンと来たんですね。
ちょっと上から目線過ぎるんじゃないの?って。
……何かを創り出す人達って、世の中の割合からしたら2割どころか1割もいないぐらいじゃないですか。95%は考えるだけだったり消費するだけの人達。
で、ここでいう『価値のある人達』が食っていけるのは、残りの95%の人達、いわゆる『フツーの人達』が彼らのプロダクトを消費しているおかげなワケですよね。
95%の人達が作ったビルや、95%の人達が組み立てたパソコンを使ってるし、95%の人達が作ったメシを食いながら、支えられて暮らしてるワケですよね。
そんな人達に向かって『無価値』って、どういうこと?
どんだけ皆さんご立派なの?
そこんところを忘れてるんじゃないの?って思ったんですよね。
もちろん、考えるだけじゃなくて何かを創り出す事ができる人達って本当に凄いと思うし、世の中を変えていく原動力になる価値のある人達だとは思いますよ。
ただ、『それ以外の奴らは無価値』っていう割り切り方って、凄く視野が狭いよなあって思うのです。
それって『野球以外はスポーツじゃない』って言ってるのと大差ない断じ方だと。
なんだろうな、例えば、
『自分達は凄い』という事を伝えたい時に、
『みんなも凄いけど俺たちはもっと凄いぜ』
っていう伝え方と、
『俺たちは凄いけど、みんなバカばっかりだぜ』
っていう伝え方と、2通りあるじゃないですか。
そういう観点で言えばこの記事は後者のニュアンスなんですよね。
何かそういうのを感じ取ってしまう。
SMAPは芸能界におけるホストサーバーである
普段あまりこういうテーマでは書かないんですが、この一週間、猫も杓子もSMAPな状態なのでちょっと感じた事をまとめておきたいと思います。
まとめ
- SMAPは長い活動を経て、芸能界というシステムの中枢にあるホストサーバーのような存在になっていた。
- ホストサーバーは自分の都合で止めたりリニューアルする事ができない。
- スペック(歌や踊りの上手さ)はもはや関係なく、置かれている立場、担っている役割が全てである。
- 端的に歌や踊りの技術(スペック)を議論する対象ではない。担っている役割がホストサーバーならば、例えどんなスペックだとしてもそれは立派なホストサーバーなのだ。
- 解散騒動でそれが改めて浮き彫りになった。
SMAPが解散するしないというニュースが日本中を駆け巡って、
政治家や大物芸能人がコメントしたり、新聞記事の見出しにSMAPのヒット曲を織り込んでいたりするのを見て、最初に素直に思ったのは
いくらなんでも騒ぎすぎだろう
という事なんですよね。
人気者なのは分かるけど、例えば歌だって決して上手いとは思わないし、踊りだって、EXILEの方が凄い。
解散で悲しいのは分かるけど、何もNHKの朝のニュースでまで取り上げるようなことか!?と。
SMAPという立ち位置の難しさ
最初に立場をはっきりさせておくと、私はSMAPに対してはアンチではなく、むしろ好ましく思っている方だと思います。
中高生の頃はあまり好きじゃなかったんですが、
自分が年を取るにつれて、
やっぱりなんだかんだ言ってあれだけ長い間芸能界のトップクラスにアイドルグループという位置付けのままで君臨し続けるって、凄いことだよなと思うようになりました。
解散するのは残念だけれども、まあ逆に、不惑を超えたアイドルグループってどうなのよとは思っていたんですよね。
TOKIOの場合、ジョージ・マシゲル(城島茂)という素晴らしいリーダーのお陰もあって、メンバーが三十路を過ぎた頃から、その立ち位置を上手くアイドルグループの枠から、『カッコいいオッサンたち』の枠へとスライドさせていった訳ですが、
SMAPって、お笑い的な事をやったり司会やったり芝居をしていても、やはり基本線は王道のザ・アイドルグループなんですよね。
甘いマスクとキメたファッションでラブソングを歌って踊る存在。
日本の芸能界で70年代から続くきらびやかなアイドル文化の最後の正統な継承者。それがSMAPなのかなと。
でもそれって、若さを保たないと続けられないイバラの道だと思うんですね。
過去にそれに成功した人っているんだろうか。
年々メンバーの加齢とともに、激しいダンスの曲で息を切らしている様子をちょっと痛々しいなと感じるようになってきました。
要は、TOKIOみたいにふざける事もできず、嵐のようにホンワカする事もできないで、いつまでもプロフェッショナルなアイドルグループをやっている。
それって凄く苦しい事じゃないかと。
アイドルグループはいつかどこかで年齢的な限界が来るという前提に立って言えば、SMAPもどこかで上手くアイドルグループから脱却して、芸能界でのキャリアチェンジをする必要がある訳です。
SMAPはホストサーバーである
そう言った意味で、今回の解散するかもというニュースについて言えば、私は寧ろそれがベストなんじゃないかと思っていたんですよね。
元々は事務所のいざこざなのかもしれないけれど、丁度いいタイミングなんじゃないかと。
だから、解散にファンは嘆き悲しむだろうけど、基本的にはそのまま解散でいいんじゃないかと思っていました。
ところが、それが日本中で大きな騒動に発展。
そこへ来て、本人達から解散撤回の言葉。アイドルグループの継続。
そこからにじみ出てくる、
『やりたいとかやりたくないとかじゃなく、やり続けなきゃならないんだ』
というある種の覚悟。この重い感じ。
これって、IT業界におけるホストサーバーの立ち位置に似ているなと感じました。
SMAPは芸能界というシステムにおけるホストサーバーの一つだったんだということです。
ホストサーバーとは、銀行とか大企業のシステムの中枢を担っている巨大なコンピューターのことです。
これが止まってしまったら、企業のシステムは崩壊してしまう、みたいな存在。
例えば銀行のホストサーバーが止まってしまったら、預金も融資も為替も出来なくなって、銀行の機能はマヒしてしまいます。
だから、ホストサーバーは、何重にもセキュリティを高めたデータセンターの奥深くで24時間365日稼働し続けているんですね。
まあ、分かりやすく言えば、
ラピュタの木の根っこに守られてる巨大な飛行石の結晶みたいな感じでしょうか。
今回の解散のニュースは、恐らく、いわば『バルス(滅びの呪文)』みたいなものだったんですよね。
だから唱えてからその崩壊のインパクト、ヤバさ加減に気付いて撤回した、と。そういう事なんじゃないかなと感じたのです。
実際に映画にテレビに雑誌にと、彼らの顔が出てこない日はないぐらいに活躍していますよね。
その彼らがある日すっぽりといなくなってしまったら、一時的かも知れないけれど芸能界の機能はマヒすると思います。
冒頭に書いたように、私はSMAPのアンチではないのですが、それでも決して歌も踊りも超一流だとは思っていません。
特に歌は本職のはずなのにちょっと音程も聴いていてヤバイ時もあります。
歌や踊りや芝居や司会が上手い人は他にも沢山いる。
だから、アンチ的なモノの見方をするならば、
『あんなに歌ヘタなのに何で国民的歌手みたいな扱いなんだよ』
とか言う事もできると思います。
ただ、この事も、SMAPは芸能界システムのホストサーバーであるという仮説を立てると、ある程度納得がいくと思うのです。
つまりどう言う事かと言うと、
ホストサーバーは、
その役割がホストサーバーだからこそ
ホストサーバーたり得る
ということなんですね。
SMAPはその立ち位置が全てであり、歌唱力や踊りの上手さといったスペックはもはや関係ない領域に存在するのです。
コンピューターに置き換えて言えば、ホストの役割をあてがっている以上、そのマシンは誰が何と言おうとホストサーバーなのです。
そう、例えスペックが普通のパソコンやサーバーと余り変わらなかったとしても。
そして同時に、その役割を担っている以上、本人達がどう考えようと、簡単に止める事はできない。
次のホストサーバーが見つかる日までは稼働し続けなければならない。
そういう位置に彼らはいるのです。
今後彼らが、従来のプロフェッショナルな王道アイドルグループ路線を貫くのか、嵐などを次のホストサーバーに任命して、新しい路線を歩むのかは分かりませんが、そっと応援していたいと思います。
って、お前誰だよ笑
開きっ放しだった『可能性のスコープ』を絞れ
私だけではないと思うんですけど、若い頃って、割と『自分には無限の可能性がある』とか考えていませんでしたか?
先生でも親でも何でも、大人が若者に何かを伝える時って、
君たちには無限の可能性があるんだ!
みたいな事を言うじゃないですか。
あれって、半分本当でもう半分は嘘だと思うんです。
確かに、人は皆、何にでもなれる可能性は持っている。
無限の可能性を抱いて生きていく事は有意義な人生を送る上でとても大切な事だと思います。
でも、自分が何に成れて、何に成れないのかを知る事も、それと同じくらい大切な事だと思うのです。
一万時間の法則ってあるじゃないですか。
どんな事でも、一流になるには一万時間ぐらいかかりますよ、っていう法則。
1日3時間で10年、1日8時間だと4年ぐらいですかね。
つまり、何かのプロフェッショナルになるには、それぐらいの時間が掛かるんです。
人間が生きられるのは長くても100年程度。
100年生きたとしても、
最初の10年は子供だし、
最後の10年は老人で身体が満足に動かないし、
おまけに1日の4分の1は眠らなきゃならない。
そうなると、100年生きたとしても自分の意思で100%コントロールできる時間は50年くらいしかないんです。
つまり月並みながら人生は結構短いということなんです。
その短い人生の中で、何かを成し遂げたり、一流のプロフェッショナルになる為には、どこかで自分の無限の可能性のスコープ(照準)を絞る必要が出てくるんじゃないかと最近考えるようになりました。
ずーっとスコープを開きっ放しで、無限の可能性を留保してる人って、人物としては魅力的かもしれないけれど、意外と何者にもなれないまま終わっていく気がするんです。
人生の何処かの段階で、スコープを絞り始める必要が出てくる時期があって、それがアラフォーなのかなあって思うんですね。
『俺にはやっぱりこれは向いてない。でもアレは向いているぞ!』
っていう取捨選択。
これって、
後ろ向きな諦観ではなく、前向きな選択
だと思うんです。
そんな事をつらつらと考えるお年頃(笑)。
♪ひとはみな一人では生きて行けないものだから
自分の考えに非常に近い記事があったのでシェア。
「仕事をクリエイティブにするには、広く浅く知識を身に付けろ」多岐にわたるビジネスを成功させる方法とは | CAREER HACK by enjapan
特に以下の部分。
浅くてOK.共通言語を獲得しよう
そのためにはいろんな人とコミュニケーションしなきゃいけない。いろんな人と話すためには、共通言語が必要です。
例えば、エンジニアと話すときには、エンジニアリングの知識がないと全然ダメ、ビジネスサイドの人と話すときに、バランスシートも読めないやつがビジネスサイドに数字の何か言っても、「こいつ、なに言ってるんだ」みたいになると思うんですね。
知識は深くなくてもいい。大事なのは会話ができるということです。広く浅く、いろんなことを学び始めました。エンジニアリングから財務、カスタマーサポート、法務、セールスの方法などなど。基本は独学です。いまはネットですぐ本も買えるし、調べれば大抵のことは理解できます。
すると、その道のプロの人からすると基礎中の基礎、常識レベルのことでも、学んだことがいろんな人との共通言語になり、少しずつ会話ができるようになりました。自然と仲間が増えていって、できることが増えていくんです。
これってどのジャンルでも言えることですよね。
「技術の部分はよく分からんからSEに投げとけば、よろしくやってくれるだろ。俺は営業だし金勘定だけしっかりしてればいいや」
みたいな人って、これからは生き残っていけないと思うんですよね。
逆もそうで、営業や調達部門や管理部門の事を全然理解するつもりのないエンジニアは、
コミュニケーションがうまく行かなくてブーブー文句垂れながら不本意なまま終わるだけ。
結局、全部のジャンルを広く浅く知っている事が、仕事のやりやすさに繋がってくる。
だから、ゼネラリスト的な人って時代遅れみたいだけどやっぱり大事だと思うんです。
実際にキャリアとして色んな部署を経験する必要まではないかもしれないけど、相手の領域を勉強しておく事はとても大切。
例えば総務とか事務処理担当の人に何かを依頼する時も、彼らの仕事の内容とか処理の流れを知っていれば、
『こういう風に頼まれたらムカつくだろうな』
とか、予想できる訳ですよ。
だから、処理しやすい頼み方をするし、それでもどうしても無理なお願いをしなければならない時は、
相手がムカついているであろうポイントを先回りして言語化して謝った上で、どうしてもお願いしたい旨を誠実に伝える。
それができるかできないかで、人から助けてもらえる量が大きく変わる訳で、それがつまりは仕事の質に大きく影響してくると思うんですよね。
平たく言えば、この曲に集約されてます。
『ひとはみな一人では 生きて行けないものだから』
ゲームと想像力
バカリズムさんの語るゲーム論に共感。
バカリズム・升野英知が、昔のドラクエⅡ(ファミコン版)のエグさを語る - YouTube
ちょうど私もほぼ同年代のファミコン世代なので、同じような事を考えていました。
確かに、自分も昔ほどゲームを諦めずにやり続けるスタミナが無くなってきているなーと。
ファミコンソフトを年に一本とかしか買ってもらえなかった頃は、クソゲーとかいう概念はなくて、とにかくやり込んでいましたね。
でも今はゲームのタイトルも沢山あるし、ゲーム以外に楽しい事が色々あるから、相対的に見て、自分の遊び時間の中でのゲームの占める割合が小さくなってきている。
だから、パッと面白い体験をさせてくれるゲームじゃないとすぐ止めちゃうんですよね。
「あー、あのアイテム欲しいけど、手に入れる為にはそんなに面倒くさいプロセスが必要なのかー。じゃあもうやらなくていいや」
みたいな。
YouTubeで、そのアイテムを手に入れた人の動画を見て満足したり。
根性がなくなりましたね。
あと、想像力も落ちてきている。
昔はそれこそほとんどドットの模様みたいな単純なキャラクターを動かしていて、しかもそのキャラクターが喋る訳でも無いから、自分達の想像力でストーリーを補完していたんですよね。
二次創作というか、同人誌に通ずる楽しみ方があったように思うんです。
例えばドラクエ3で、主人公の父親オルテガと再会するシーンなんかも、当然ファミコンだから凄くショボいんだけど、
そこまでのオルテガの冒険の過程を全部想像していたんですよね。当時の小学生たちは。
「船も鳥も手に入れてないのにどうやって移動してたんだよあのヒゲオヤジ」
とか言いながら(笑)
あと、ファミコンの容量の問題でオルテガのグラフィックもただのザコキャラの色違いみたいな感じなんですけど、覆面の中の素顔を想像していたんですよね。僕たちは。
だけど今のゲームはほとんど実写映画みたいなハイクオリティなムービーがついていて、主人公もベラベラ喋るじゃないですか。
もちろん凄いことなんだけど、逆に言えば、そのムービーで主人公達の顔や声も規定されてしまうというか、全部答えが出てしまうわけで、想像力を働かせる場所がなくなっちゃったんですよね。
だから、ゲームプレイヤーとクリエイターとの関係性が変わってきたと思うのです。
昔は、
クリエイターが作ったゲームをプレイヤーが想像力で補完するという共創関係があったんだけど、
今は、
クリエイターだけで、クリエイターの表現したいモノを造れる設備も揃っているから、その時点で完成品なんですよね。
プレイヤーはクリエイターの作った世界を楽しむだけ。良くも悪くも、クリエイターの世界観に付き合わされるというか。
面白さとか楽しみ方の質が変わってきたと思います。
私個人は想像力を使う楽しみ方が好きなんですけど、だからと言って今からドットのキャラクターの世界にはもう戻れないんですよね。
ノスタルジーになってしまうんですよ。
あれだけ高画質なモノを知ってしまった以上、どうしても色褪せて見えてしまう。
つまり、最新の素晴らしい画質で、昔のように想像力を掻き立ててくれるゲームがあれば最高なんですけど、中々そんなゲーム見つからないですよね。
龍が如くのコント的な楽しみ方
PSの龍が如くシリーズをご存知でしょうか。
この辺を見て頂ければ概要は理解できると思うんですが、
まあ平たく言えば、893が主役のアクションアドベンチャーゲームです。
海外でのタイトルはそのまんまYAKUZAです。
ロールプレイングゲーム的な要素もあるため、参考までにドラクエとの比較をしてみます。
みたいな感じです。
スライムの代わりにチンピラをぶん殴って経験値とゴールドを手に入れ、稼いだ金で新しい殴り方を覚えて、悪い組長をボコボコにしたあとにキャバクラ嬢を落とす、みたいな最高のゲームです。
なんだかんだ第一作からほとんどをプレイしてます。
真面目な話、凄く好きな作品です。
ゲームのシステムも、毎回、『龍が如くらしさ』をしっかり残しながらも進化していくし。
ただ、今回の話はそういう所じゃないんですね。
あのゲーム、自由度が高いからそれが意図せずコントみたいな状況を生み出したりするんですよね。
例えば、味方の組長が撃たれたとかで、
「今すぐ駆けつけなければ!!」
とか言いながらも、
普通に組の事務所と逆方向に進んでキャバクラで遊んだり個室ビデオ見たり出来るんですよね。
幕末を舞台にした『龍が如く維新』でも、
物語終盤で、街中が火事になったりしている中、息も絶え絶えの仲間から、血染めの手紙を渡されて、
『あいつの暴走を止めてくれ!日本を頼む!!!』
と言われて、
『わかった!!』
と返事してから、敵と戦わずに遊郭に繰り出して芸者と野球拳やったりするんですよ。
街中燃えてるのに何やってんだよっていう笑
あと、普段の『龍が如く』シリーズの中でも、街の人々とのサブイベントが発生するんですけど、
酔っ払ったサラリーマンが主人公に絡んで来て、仕方なく戦う、みたいな流れのサブイベントの時にたまたま日本刀を装備していたら、
主人公が素手のサラリーマン相手にいきなり日本刀で斬りかかって相手を血まみれにして倒すんですよね。
それでその後、そのサラリーマンに向かって
『お前も男ならもっとしっかりしろ』的な事を説教したりする訳ですよ。
あと、物語のカギを握る少女と一緒に街を探索する場面があるんですが、主人公がこの少女に、
『お前の為に俺は命を張る』
ぐらいの事を言っていて、ジーンと来たんですが、
その後すぐに少女を連れた状態でキャバクラとかに入れるんですよ。
『お前は少し待ってろ』みたいな感じで(笑)
なんか、そういうムチャクチャさが笑えるんですよね。
ぜひ、そういう所にツッコミを入れながら楽しんでもらえればと思います。