ヒツジくんの日記

仕事、育児、趣味、考えたことを徒然なるままに。

日経新聞は読む必要があるのか

日経新聞、読んでますか?

社会人の常識みたいな扱いになっていますけど。

私は読んだり読まなかったりです。

読んでいる時期は何年間も毎日読んでいて、読まない時は半年とかそれぐらいの期間全く読まなかったりします。
特に仕事が激烈に忙しい時は読む余裕がなかったりします。

その経験から何となく思うのは、


読まなくても別に死なないし笑、仕事で直接困ることはない。

ただし、読んでた方が仕事が楽しくなる

ということなんですね。

知っている情報が増えてくると、自分を取り巻く世の中の動きが少しずつ見えてきて、その分、この仕事という一種のゲームが面白くなってくる。

人間は多分根本的に、『何かを分かるようになること』に対して快感を感じるように造られているんだと思います。

その対象が学問なのかビジネスなのかスポーツなのか芸術なのかファッションなのか、ジャンルの違いはあれど、そのジャンルの事が分かれば分かるほど、面白くなっていきますよね。

で、多分日経新聞は、世の中の7割とか8割ぐらいの人が参加している『サラリーマン』というゲームを有利に進めるために必要な情報が効率よく詰まったツールなんですよね。

だから、このゲームに参加しているなら読んでおいた方がいい、と。
逆に言うと、このゲームに参加していないなら大して読む必要がない、と思うんですよ。

私が大好きな『私の履歴書』なんかも、興味がある人には物凄く面白いですけど、
興味がない人にとっては、『ジジイの走馬灯』みたいなものですしね。

ぼやける季節

正月三が日が明けてコンビニの前を通ったら、もう節分の鬼のお面が飾ってありました。

そういえば、最近は夏が終わったら、まだ暑さの残る9月の半ばぐらいからデパートではハロウィンの飾り物が出ているし、

ハロウィンが終わったら、翌日からクリスマスが始まるような勢いですよね。

季節のイベントの期間が1ヶ月ぐらい伸びていて、一年中何かのイベントをやっているようなイメージ。

何もイベントがない期間を許せないみたいな空気がありませんか。
なければイベントを作っちゃえ、海外の風習でも何でも持ってきちゃえ、みたいな空気。

消費者に商売する側の為の人工的な盛り上げ感、みたいなものが世の中を覆っているような。

それはそれで、最初の頃は楽しかったんですけど、何か段々と本来の季節感が薄れてきちゃってないかなーと思うようになりました。

仮面ライダーゴースト

4歳になる息子がいよいよ仮面ライダーにハマり出したので、私も最近観るようになりました。

今の仮面ライダーは『仮面ライダーゴースト』という作品で、これが結構面白いんですよね。

まず驚いたのが主人公が最初から死んでいるんですね。
悪の組織に殺されてしまっていて、それで幽体(ゴースト)みたいな状態になっている。

で、何とか生き返るためには、歴史の英雄たちの魂が込められた眼魂(アイコン)を期限内に15個集めなきゃいけないが、その為には悪の組織の怪人達を倒していかなきゃいけなくて。。。って感じのストーリーです。

更に、主人公とは別に、眼魂を集めようとしている謎のライダー(仮面ライダースペクター)がいたりして、そいつとも争う。。。みたいな話。


一番面白いのは、この眼魂のシステムなんですよね。


手に入れた眼魂をライダーベルトにセットすると、主人公が過去の英雄たちの能力を使える
ようになるんですね。

例えば宮本武蔵のムサシ眼魂をセットすると、二刀流で戦えたり、ニュートン眼魂をセットすると、重力をコントロールできたりする、という流れです。

いやー、ニュートンも生前は別に普通のオッサンだったから重力操れた訳じゃないと思うんですが笑


この、敵のボスの技がどんどん使えるようになって、技を切り替えて戦っていくという辺りが、

何だか、私の年代だとファミコンの『ロックマン2』を思い出さずにはいられないシステムです。


で、変身ベルトに眼魂をセットすると、ベルトが謎のラップを歌うんですよ。
これが韻を踏んでて最高にイカスんですね。

ノブナガならば、
『俺の生き様 桶狭間!』とか、

ベンケイならば、
『アニキムキムキ仁王立ち!』とか。

なんかどっかで聞いたことあるファンキーガッツマンな声だなと思ったら、なんとmcATなんですよ、歌ってる人が。

このラップ部分だけでもマジで面白いです。
一部ストーリーのネタバレになってしまいますが、フレーズがまとまっている素晴らしいサイトがあったのでご紹介。

仮面ライダーゴーストネタバレ!アイコン・フォームの変身音声やセリフ・掛け声



なんかもう絶妙に、90年代の音楽をくぐってきた親世代を狙い撃ちしてる感じなんですよねー笑

たまんないですわ。

仄暗い井戸の底からコインを拾え ――BGMと文章の関係性について――

一人旅で感じたことを書き起こそうとしています。
昨日、伏見稲荷大社に行った時の話を書こうとしているんですが、ちょうど今、レコード大賞を見ているんですね。
演歌とAKBとEXILEとAAAとTUBEがガンガン流れている状況な訳です。そのせいか、さっきから全然文章がまとまらないんです。

不思議なもので、私の場合、ブログなどで書く内容は思い切りBGMの影響を受けてしまうんですよね。

体験的には分かっていることなんだけど、改めて、何でそんなに文章ってBGMの影響受けちゃうのかなーって考えてみました。

文章を書くこととは、どういうことなんだろう


「は?なに言ってんの?」って言われるかもしれないですけど、
文章を書くことって、【井戸の底にあるコインを拾ってくる作業】に似ていると思うんです。


当たり前ながら、生きていると、色々なことを感じたり考えたりしますよね。
それらの想いはコインの形に凝縮されて、その度に、自分の心の中の井戸へチャポンと放り込まれていく。
そして井戸の底にコインが溜まっていくんですね。

誰でも心の中に大きな井戸を持っていて、仄暗い井戸の水底には無数のコインが眠っていると思うんです。

文章を書く作業というのは、その井戸の中に潜って、井戸の底のコインを拾って水面まで戻ってくる作業なんじゃないかなーと思うんですよ。

上手いダイバーは、井戸の底のコインを2枚も3枚も拾ってくるし、
下手なダイバーは、コインを拾う前に息がもたなくて水面に戻ってしまう。

じゃあ、BGMと文章はどう関係してくるのか?


BGMというものは、井戸の中に潜る際に【重り】にも【浮き】にも成り得るモノだと考えています。

書きたい内容と合っているBGMなら、深く潜る為の助けとなる【重り】になってくれるし、
逆に、書きたい内容と合っていないBGMなら、【浮き】になってしまい、何時まで経っても深く潜れない。

例えば、内省的な文章を書きたい時に合うBGMはやっぱり少し暗めの音楽だったりするんですね。
ヒーリングミュージックやJazzやクラシックとか。

もちろん個人差はあると思うけれど、
「内省的な文章にはアゲアゲなトランスがしっくり来るぜ」
って人はかなり少数派だと思う笑

合っていないBGMに乗せて文章を書いていると、やっぱり筆先が鈍る。
少なくとも、書こうとしていたトーンとは違う文章が出来上がってしまう。

それって、BGMが浮力として働いてしまっている状態なんじゃないかなーと。
【浮き】が邪魔になってしまって、結果として、内省的な文章のはずなのに、
大して深い所まで潜れないまま、浅い結論でまとめてしまったりするんですよね。


そんな感じです。


ここまで書いていて重大な事に気づきました。

じゃあ、さっさテレビ消せや

と笑。

フジヤマ!

京都一人旅の帰り道、車窓からの富士山。

関東に住んでいながらここまで近くでまともに見たのは初めてですが、何よりもその大きさに圧倒されます。



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写真で伝わるかどうか分かりませんが、周辺の山々より頭2つ分ぐらい抜けてデカいんですよ。

あと、周辺の山が木に覆われてモヤっとした緑色なんですが、富士山だけがくっきりと岩肌が見えているんですね。

イメージ的には、

プリキュアの集合写真の中央にゴルゴ13が立っている』

みたいな事態です。

あいつ一人だけ劇画タッチなんですよ。明らかに浮いてます。


山頂が雲の上に見えるんだけど、

「マジかよ、あんな高い所に人間が徒歩で登るの!?」

って感じ。



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すいません、富士山登山をナメてました。

今までは教科書的に富士山のアップの写真しか見た事がなかったから、「ふーん、でかいんだね」って感じだったんですけど、周辺の景色とあわせて生で見たら、畏敬の念を抱かざるを得ないです。

そりゃ、古来から日本人が色々な所で富士山をシンボライズするのも理解できるわ。

古くは竹取物語にも『不死の山』として出てくるしね。
富士山と竹取物語の切っても切れない話とは?|「マイナビウーマン」

単なるリスペクトではなく、やはり畏れと敬いが混ざりあった畏敬の念、という表現が当てはまると思います。

富士山への人々の畏敬の念の本質を考えてみたんですけど、端的に言って周囲との相対差が大きいという事なんじゃないかな。

要は、周りにデカい山が少ないから余計に引き立って見える、ということ。

例えばもし富士山の周辺に3000m級の山々が取り囲んでいたら、結果的に富士山が一番高いとしても、これ程には人々の心に焼き付かないと思うんですよね。

富士山のシルエットの美しさもこんなに取り沙汰されることはなかったのでは。

逆に言えば、もし富士山のシルエットがブサイクだったとしても、周辺の山々が低かったら、きっと今と同じように畏敬の念を持たれていたんじゃなかろうかと。
造形の評価は結果論ではないかな。


これは、人間の世界にも言える話で、富士山を一人の人間として擬人化して考えてみたら、そこに何となく、楽しく生きるヒントが見えた気がしたんですね。

どういう事かというと、

周囲の人間との能力的な相対差が大きい程、評価が高まるんじゃないか

ということ。


具体的には、

  • ヤンキー校の学年トップ
  • 万年最下位の野球チームの四番エース
  • ドブスだらけのキャバクラの絶対不動エース


みたいな感じでしょうか。
まあ極端な例ですが笑

もちろん大前提として、自分の能力値が一定の高さに達している必要がありますけどね。

でも、

努力して自分の能力を高めていく事はもちろん大切なことだと思うんですけど、周りが凄すぎて自信をなくしてしまいそうな時に、こういう考え方があってもいいんじゃないかなと。

偶然一家

大前提として、私は奥さんも息子も愛しているんですが笑、それとは全く別の冷静な観点で自分の家族というものを見つめてみると、

他人と他人が偶然出会って、偶然の積み重ねで子供が産まれて家族になっただけなんだよな、と思ってしまう訳です。

冷めているとかそういうのではなくて。

どこにも運命とか必然というものはなくて、本当にたまたま、あの日の合コンに行ったら今の奥さんがいた訳で。

その後も、割とどうでもいいやぐらいに挨拶メールを返して、じゃあメシでも食いに行きますか、みたいな流れからたまたま付き合っただけなんですよね。

お見合いの方が事前に相手の写真見たりできて、スーツ着ていい食事を出来るわけだから、よっぽど運命的な気がするくらいです。


子供にしたって、言葉は悪いんですけど、たまたまある日の行いが今の子供になった訳で、もし別の日に行っていた場合、全然違う顔の子供だった訳ですよね。

そう思うと、全ては偶然だよなと。
生まれて死ぬまで、ほとんど偶然の連続じゃないかと。これが事実。


今思うと、昔、私の母がそれをズバリと言い当てているような言葉を発した事がありました。

中学生の頃に、食卓で家族でテレビを観てひとしきり笑った後に、母が一言ポロッと、

このメンバーで良かったよね

って言ったんですね。



この時代のこの国のこの家に、たまたま集まった人達。それが家族なんだ。


その時は、普通に「そうだねー」とか言って聞き流していたんですが笑、最近になってあの時の母の言葉って結構深いよなー、なんて思う次第です。


人間というのは、私も含めて、偶然をただの偶然だと割り切ることは出来なくて、やっぱりそこに何かの意志や物語を感じて納得感を得たい生き物なんだと思います。

でも、最近私はこう思っています。

偶然でもいいじゃないか、このメンバーで楽しく生きられれば

ってね。

ブログのテーマは絞らなきゃダメですか

10年以上まともにブログを書いてなかったので、今回ブログを書き始めるにあたって、色々調べました。

一番悩んだのは、ブログのテーマを1つに絞って書くか、それともテーマを絞らずに雑多な話題を書き散らすのか、ということでした。

いくつかの本やサイトを見た所では、テーマは1つに絞って書いた方が良いとのことでした。

これは、Adsenseアフィリエイトなどの広告収入の観点によるもので、1つのテーマに特化したブログの方が、アクセス数も稼ぎやすく、収入に繋がりやすいようです。
しかもテーマはできるだけ絞って書いた方が良いみたいで。

検索する側からしたら、確かに欲しいジャンルの有用な情報が1つのブログの記事にまとまっていた方が好ましいのかもしれないですね。

だからまあ、最初はこのブログもテーマを絞ろうとしたんですよ。

『IT系営業マンのぼやき』とか、

『ITに詳しくないオジサンのためのパソコン講座』とか、

そういう感じで。

で、文章の書き方も、いわゆるまとめサイト的な項目の立て方や段落分けの練習をしたりしました。

クラウドワークスみたいなサイトで、いくつか文章を書いてみて、その辺は少し勉強してみました。


ただ、実際やろうとした時に、やっぱり続けられる気がしなかったんですね。

いくらそのジャンルがそこそこ好きだとしても、毎日そのテーマに縛られながら文章を書くのは楽しくないというか、どうにも窮屈というか、無理ゲーな気がした訳です。

世の中には、アクセス数が稼げるならば、自分が本当は興味の全くないテーマでもガンガンと300記事とか500記事とか1000記事とか、大量に記事を書けるような人達がいるんですね。

例えば芸能人のニュースブログだったり、殺虫剤や化粧品をひたすらレビューするサイトだったり。

実際、そういう人達がAdsenseアフィリエイトの世界で実績を出しているのは事実。
それは疑いようもなく凄いことだとは思うんですね。それでメシ食ってる人もいる訳だから。


だけど自分にはどうにも合わないスタイルだなと。向いていないと。


先日のブログでも書いたけど、向かないと思った事を無理して頑張っても、向いていると思って頑張ってる人には勝てない訳です。

努力は不要 - ヒツジくんの日記


だからまあ、戦略を変えて、自分のやりやすい形、向いていると思えるスタイルでこのブログを書き連ねて行こうと思います。

同様の話で、ブログのタイトルも最近はテンプレ化されてたり、SEO対策で検索エンジンに引っ掛かりやすい単語を散りばめたりしているのが普通みたいなんですけど、アレも自分には合っていないみたいで。

だからまあ、普通にタイトル付けて普通に書いていこうかと。


読んで頂いた方に、
「くだらねえけど笑えるな」とか、
「ちょっと考えるヒントになったわ」
と感じてもらえればそれでいいかなーと。

それでは、今後とも宜しくお願い致します