大いなる地への旅立ち
展示会を見に行くために田町駅から東京ビッグサイトに行くことになりました。
東京ビッグサイトといえばお台場の先という事で、確かゆりかもめとかいうクソ高くて狭いモノレールに乗っていけばいいはずです。
いつもならグーグルマップを立ち上げ最寄りのモノレールの駅を探すところなんですが、スマホを開いたところでハタと思いました。
「俺たちはいつの間にか文明の利器に頼りすぎてしまっているのかもしれない。そうだ、自力でモノレールの駅を探そう!」
と。
そんな訳で、ファイナルファイトのハガー市長よろしく「デヤア!!」という掛け声と共にスマホの電源をオフって、周囲を見渡せば、あるじゃないですか、モノレールの高架が。
そうだ、あのレールの下の道を歩いていけば、芝浦ふ頭駅とかそんな雰囲気の駅につくはずだ。
そして、モノレールはやがて俺を大いなる地(ビッグサイト)へといざなってくれるに違いない。
私は颯爽と歩き始めました。
スマホを手放して周りの人々を見渡せば、スマホ歩きをしている人ばかりではありませんか。
全く、機械文明に溺れた烏合の衆ばかりです。
私はそんな彼らを一瞥した後、ムスカ大佐よろしく
「バカどもには丁度いい目くらましだ」
と、唾吐きすり抜けてrunaway。
40分後…………
あッれれえええ?ぜんぜん着かないお?
そろそろ駅のかけらぐらい見えてきてもいいはずなのですが、見えてくるのは殺風景な巨大倉庫や無機質なビル群ばかりです。
おかしい。
私の計算ではそろそろお台場の『お』の字が見えてきて、フジテレビ本社のあの銀色のタマキンみたいな変なモニュメントの前に立っているはずなのに!
あっ!フジテレビ見えた!!!
ん?
(ゴゴ)
あれ?
(ゴゴゴ)
てゆうか、
(ゴゴゴゴゴゴ)
あの銀タマキン、最初見た時より小さくなってねえか?
(ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ)
だが、私は今も間違いなくモノレールらしき架線の下を歩いているはず。
しかも何度か走り過ぎるモノレール自体も見た。
あれは間違いなく東京モノレールだ!
そうだ、東京モノレール!
ん?
何かが私の中でかさりと音を立てました。
遠ざかるお台場、殺風景な倉庫群、そして東京モノレール。
バラバラだったパズルの最後の1ピースが、今カチリと音を立ててはまりました。
謎は全て解けた。
整いました(だいぶ古いですね)
どうやら私はお台場行きのゆりかもめのレールではなく、羽田空港行きの東京モノレールのレールを歩んでいたようです。
その瞬間、何だかもう、海外に高飛びしたくなりました。
(以下、村上春樹的妄想)
私は空港のチェックインカウンターでパスポートを出した。
受付嬢は双子で、とても素晴らしい形の耳をしていた。
「それで」と左の娘が口を開いた。
「あなたはどこへ向かうつもりなのかしら」
彼女は冬眠から目が覚めたばかりの子熊のように私に問いかけた。
「よくわからないな」私は答えた。
「ヨルダンに行きたいのかもしれないし、熱海の秘宝館でもいいのかもしれない。時々そういう気分になるんだ。分かってもらえないかもしれないけれど」
遠くのカウンターで背の高い黒人が何か大げさなジェスチャーで受付嬢に何かを伝えていた。
私がその様子を見ていると、双子のもう一人が
「わかる気がするわ」と突然言った。
その声は春のモルダウ川のように澄んでいた。
(妄想終了)
……取り乱してしまいすみませんでした。
マンションのチラシ
駅前でティッシュと一緒にマンションのチラシとか手渡されるんだけどさ、結構有名な大手の不動産会社のマンションとかでも、そのチラシに書いてあるキャッチコピーが酷いんだよね。
『心髄の邸』とか、
『光景(シーン)となる象徴(シンボル)』とか、
そんな感じの、FFのプロデューサーの野村さんみたいな猛烈に中二病をこじらせたような頭の悪そうなポエムが書いてあるわけ。
あと、大体、チラシにイメージイラストが付いていて、街の中でそのマンションが光に包まれてるんだよね。そのマンションを中心に天まで光の柱が伸びてるみたいな感じで。
RPGのセーブゾーンかよ、っていう感じなんだよね。
そもそも心髄なんて言葉はなくて、正しくは真髄(もしくは神髄)だよね。
百歩譲ってオリジナルの言葉を作るのはいいけど、
『心の髄の邸宅』ってどういう意味ですか?意味不明なんだけど笑
日本語をわざわざ壊して誰にも伝わらないフレーズを作るのは効率悪すぎませんか。
あと、『光景(シーン)となる象徴(シンボル)』っていう日本語も、ギリギリな感じだよね。
文法的には間違ってないかもしれないけど誰もそういう使い方しないでしょ、って感じの。
入り口に城門と大噴水があって毎晩カーニバルやってたり花火でも打ち上げてるなら話は別だけど、ただのマンションが光景とかシンボルになるわけ無いじゃん。光景じゃなくて、風景だよね。
ひょっとして閑静なしーんとした住宅地ということを伝える為に、シーンという言葉を掛けているのかもしれないけど、『しーんとした』という言葉にはあまりポジティブなニュアンスはないよね。
マンションって、何千万円もする商品で、普通の人からすれば35年とか一生掛けてローンを払うようなシロモノだよね。
俺は買うつもりないけど、買う側の立場からすれば、そんな頭の悪そうな広告を平気で出す図太い神経を持った会社の作ったマンションには住みたくないよね。
他者を簡単に老害とか言ってる人達
30代ですでに「老害」化している人が急増? 若手社員からの本音 - ライブドアニュース
この記事に書かれているような若き老害みたいな人も確かにいない事はないだろうけど、それって単純にそいつがヒマだから後輩に構ってきているだけ、って話じゃないのかな。確かにまあ面倒くさい人達もいるよね。
ただ、それよりもむしろ、
自分達の年代以外の他者を受け入れられるキャパシティがない空気感が若い人達の間に満ちてきていて、
少しでも自分達の世界観に当てはまらない事を言う人達に出会うと安易に『老害』とかジャッジメントしてるだけのような気がするよ。
違う年代の他者の価値観が自分達と違うのは当たり前で、それを互いに理解し合って補い合って仕事を勧めていく事が大事だと思うんだけどね。
それが嫌なら目を閉じて口をつぐんで殻にこもるか、同年代で仲良し村でも作って楽しくやってください。多様性ないから風向き一つで簡単に滅びると思うけど。
昔から思うんだけど、『老害』とか『マスゴミ』とかいう言葉を簡単に使うやつは、頭の中にある他者をカテゴリ分類する為の戸棚の造りが粗いんだよね。人間社会への理解度が低いのではと思ってしまう。
色んな考えの老人がいたり色んなスタンスのマスコミがあるだろうに、十把一絡げに老害とかマスゴミっていう括り方ができるズボラさって何なのよ、って思うね。
外人なら全部『キリシタン』とか『バテレン』とか言ってた頃から脳が進化してないんじゃないの?
あと、『仕事ができなくて意識だけ高い』って断じ方する人達って、どれだけ地獄を見てきたのか知らないけど正直あまり仕事できなさそう。
どんなボンクラに見えるオジサンとかでも、利益に直結してなくても何かのジャンルに詳しかったり、凄い一面があったりする訳じゃん?どこで世話になるかわからないし。
それを上手く使って行かなきゃ仕事のレバレッジが利かないでしょ。
自分の持ってるちっぽけな五角形の定規で他人をグラフ化して測ってるだけじゃん。どんな人間にも必ず侮れない一面があるのでは?
爺さんたちを簡単に老害とか言ってる人達は、いつかブーメランみたいにその言葉が自分達に返ってくるよ。
年老いたその背中に、刃が刺さる日が来ないよう、気をつけてね。
向いてる事や好きな事は、人生のレバレッジだ
どうやったらもっと楽しく生きていけるかなあと、最近割と真剣に考えるようになりました。
世の中には、自分にとって
- 向いてる事
- 向いてない事
- 好きな事
- 好きではない事
っていう4つがあると思うんですよね。
多分ですけど、1かつ3、つまり自分にとって向いていて好きな事をやり続けられるかどうか、いかにそこへ自分を持っていくか、が楽しく生きていくコツなのかなと。それがゴールだよね。
私を含めて多くの人は、自分にとって
- 向いてるけど好きではない事をやっている
- 向いてないけど好きな事をやっている
- 向いてない上に好きではない事をやっている
のどれかなんですよね。
思うに一番地獄なのは、向いてない上に好きではない事をやっているパターン。
超絶弱気でコミュ障気味の人が体育会系な会社で営業マンやらされてたりする。
これは悲惨ですよね。
あと、別の意味で悲惨なのは、向いてないけど好きな事をやっているパターン。
センスも技術も全然ないけどいつまでも演劇をやっている人とか、何年経っても売れないミュージシャンとか。全く面白くなくて売れない芸人や作家とかね。本人よりも周りがかわいそう。
でも、一番多いパターンは、
向いてるけど好きではない事をやっている
ではないでしょうか。
一応仕事を回していけてるけどどこか物足りない、みたいな思いを抱えていたり。
仕事を回していけてる時点で、そこそこ、その仕事は向いてるんだと思うんですよ。
ただ何かモヤモヤするのは、ぶっちゃけその仕事がそんなに好きではないから。
そういう状態の人達って多いんじゃないかな。
なんかもったいないですよね。
好きとか得意ってのは、神様がその人だけに与えてくれたレバレッジだと思うんですよ。
これを使わない手はないんじゃないかなーって。
最近そんな事を考えます
他人を試すような事ばかりしてくる人達
たまにいますよね、他人を試すような事ばかり仕掛けてくる人達。
敢えて課題を与えて他人の成長を促す、とか、過ちに気づかせる、みたいな事じゃなくて、
純粋に自分の楽しみの一つとして他人を試す人達がいるんです。
以前、とあるベンチャー企業とお付き合いした時にそういう方がいました。
その会社の社長とナンバー2とで、会社の方針の理解が微妙に違っていた時に、両者から社の方針に関するメールをもらっておいて、そのメールを比較して周りの社員に見せながら笑ってるんですよね。
『ほら、試してみたけどやっぱり二人の間でも方針違ってるでしょ?』
みたいな感じで。
社長とナンバー2との方針のズレを真正面から本人達に指摘して是正を求めるなら、素晴らしい事なんですけど、この人の場合、ドヤ顔で笑っておしまいなんですね。
結局この人が伝えたかったのは、
これを見抜いた俺ってすごいだろ?
ってことだけなんです。
他人を試す行為は、自分の立ち位置を有利にする為のツールであり、自分の凄さを周囲に知らしめる為のエビデンスでしかないんです。
何かそういうのが透けて見えちゃってイヤーな気分になりましたね。
ちなみにその人は自分で会社立ち上げて潰して2回ぐらい離婚しているような豪快な人でした。
自分の社員や奥さんや家族も試してきたのかも知れません。
で、世の中には他にもこういう人達って沢山いると思います。
ただ、最近気づいたんですけど、そういう人達って、頭は良いと思うんですが、意外とトップまでは出世しなかったりするんですよね。
部長や役員ぐらいにはなれるけど、意外とトップにはなれない。
なんでかなあって考えてみたけど、
やっぱこれに尽きるんじゃないかと思うんですよね。
嫌な奴だから。
やっぱ人って嫌な奴と仕事したくないし、それが社長とかならたまらないですよね。
そういう意味では、よほど図抜けた天才でもない限り、こういう人達が組織のトップに立つことってないのかも知れませんね。
アタマは良いんだけど、人間社会への理解力に関して言えばバカなのかも。
風邪でボーッとしながら考えたこと
一家3人とも風邪引きました。
いやー、つらい。僕も妻も幸いインフルとかじゃなかったんですが、熱は38度台だし咳は出るしで大変です。
子供も溶連菌感染症とかいうやつで、熱だけじゃなくて手足が痛いらしくて、ポタポタ涙流していてかわいそうでかわいそうで仕方がない。
代われるものなら(俺以外の誰かに)代わってやりたいぐらいです。
今日は、僕は数字の会議で、妻もどうしても外出しなければならない日で、子供は熱を出しながら大好きなママと離れておばあちゃんの家でお留守番、ということで我が家にとっては結構な試練でした。
そんな状態で数字がアタマに入るわけない笑。
まあアレなんですよね、何となーく分かってきたのは、どこの会社でも数字の会議には種類があって、(以下はあくまで一般論ですけど、)
細かい事はいいから新しいビジネスの夢を語れ、というタイプのドリーミングな会議と、
しっかりした実績をデジタルに落とし込むチューニング的な会議と、二種類あるんですよね。あるいは両者が混ざってたり。
ドリーミングな会議でも、どうしても現場側はミクロな視点で案件単位で数字を積み上げていく訳だけど、
経営側はマクロな視点だから、そういう現実的な話だけだと物足りなくて『明日にときめけ、夢にきらめけ』みたいな叱咤激励をしたくなるんだと思う。
多分経営側にいる人達だって若い頃に死ぬ程ミクロな世界でやってきた人達なんだよね。
だからそれを分かった上でマクロな視点でモノを言っているんだと思う。
だけど現場はそんな事まだ分からなかったり、実際火の海みたいな状況だから、
『おまえこの状況で何言ってんだよ!?Rookiesかよ!』
みたいなリアクションになるんですよね笑
どうしても最終的に評価に繋がるのはデジタルな実績値であって、夢のデカさではないから。現場は嫌というほどそれを知っている。
現実問題として給料とか処遇が関わるんだから、そりゃストレートな夢とか語れんわな。
でもなー、それだと超絶つまんないんだよなー。
新しいビジネスを起こすとかしていかないと。周りがどんどん進化していく世界で現状維持していくってのは、つまり緩やかに死ぬ事と同じだから。
やっぱ多分ミクロとマクロの両方のレンズを持たないとダメなんだなー。
そういう意味では、ベンチャーの人達はやはりミクロとマクロ両方の視点を持っている事が多い気がする。
それは単に能力的に優秀だからとかいう話ではなく、両方の視点を持っていないとすぐに会社が潰れてしまうシビアな環境だから。
生き残るために進化せざるを得ないというか。
ボーッとした頭でそんな事を考えました。
あ、余談だけど咳って1回あたり2キロカロリー消費するみたいね。
分速60回のペースで1時間咳し続ければ7200キロカロリー消費できるから、それだけで-1キログラム。
三日間寝ないで咳し続ければこの世から消滅できるよ笑
土日には全快させて、親子三人でレストランで肉でも食べよう。